釜石鉱山デジタルアーカイブ

ナウマンの予察地質図

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ナウマンゾウで有名なハインリヒ・エドムント・ナウマンは、明治政府のお雇い外国人(ドイツ人)で、フォッサマグナの発見など日本の地質学に多大な貢献をした人物です。

予察(よさつ)地質図とは、ナウマンが計画した20万分の1地質図幅調査事業のための予備調査の地質図で、北海道・沖縄を除く日本を東北部・東部・中部・西部・西南部の5葉に分割して、この順に調査、出版されました。東北部は最初に刊行された地質図で、明治14(1881)年5月~11月、翌年9月に東北地方の調査旅行を行ない明治19(1886)年に英文版・和文版が150冊ずつ刊行されました。なお、その前年にナウマンは帰国しています。

本資料はそのうちの1部で旧釜石鉱山事務所に所蔵されています。

拡大して細部を見ることができます

釜石鉱山坑道バーチャルツアー

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釜石鉱山坑道全行程 釜石鉱山には、総延長1,000キロ・メートルを超える坑道と、東京ドーム25杯分にもなる巨大な採掘地下空洞が存在します。150年もの長きに亘り堀り進められた坑道の長さは、南北 6キロメートル、東西2キロメートルの範囲に海抜150メートルから980メートルまでいくつもの階層に分かれた坑道が、まるで巨大な蟻の巣のように広がっています。海抜550メートルの高さの坑道(550m坑)では坑道内の移動には現在は電動カートが使われています。

グラニット・ホール(地下音響実験室) 坑道入口から北へ約1キロメートルに位置します。元々は坑内の事務所兼休息場でしたが、90年代にある所で花崗岩の音楽ホールを建設する構想が持ち上がり、その基礎データを得るために釜石鉱山の既存の空間を拡幅し、実験場が作られました。この花崗岩で覆われた空間は吸音率が低く、残響が長く残るといったデータが得られ、完成後は、コンサートやレコーディングに利用されました。

鉄鉱石採掘場跡 入口から約2キロメートルに位置します。釜石鉱山の鉄鉱石は、磁性をもった鉄鉱石で、磁鉄鉱と呼ばれ、鉱石に磁石がくっつくほどの高い磁性があり、良質な鉄が作れます。

仙人秘水原水採水地(旧製造工場) 仙人秘水は、日本で最初に認可された非加熱処理の「ナチュラルミネラルウォーター」です。”ナチュラル”とは、ミネラル分調整やブレンド等を行っていない天然のままの水を意味します。水の特性として、pH値は生体水に近い約8.8の弱アルカリ性で、ミネラル分の含有量は適度であるとのこと。酸化しにくい軟水はまろやかな口当たりで、ほのかな甘みが感じられます。この水が何十年という長い年月をかけ、花崗岩や磁鉄鉱といった厚い岩盤で濾過されたものです。

旧釜石鉱山事務所バーチャルツアー

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旧釡石鉱山事務所は昭和26(1951)年に日鉄鉱業(株)釡石鉱業所総合事務所として建設され、業務を受け継いだ釡石鉱山(株)の総合事務所として平成19(2007)年まで使用されました。平成20(2008)年、釡石鉱山(株)の事務所移転に伴い、建物は釡石市に寄贈され、近代製鉄の発祥地-大橋鉄鉱山や釡石鉱山の歴史、地質などを伝える展示室として活用されています。旧釡石鉱山事務所は大正12(1923)年の関東大震災後に多く採用されてきた型枠コンクリートブロック造で、県内でも数少ない建築様式の建物です。平成26(2013)年、その貴重さから、国登録有形文化財に登録されました。

周辺には選鉱場跡や堆積場跡、山神社など関連史跡もあり、近代製鉄発祥の地、日本最大の鉄鉱山を体感できます。

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釜石鉱山大橋社宅街アーカイブ

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大橋社宅街は明治13(1880)年に開業した官営釜石製鉄所の採掘場として始まりました。その後、田中製鐵所、三井、日鉄鉱業と経営体制を変えながらも釜石鉱山の中心部として事務所が置かれ、釜石鉱山専用汽車(社線)の大橋駅や社宅街が構成されてきました。昭和26(1951)年に事務所が移転されると工業地域的な要素が減少し、社宅街として発展していくこととなります。現在、建物群は撤去されましたが、往時をしのぶ石垣群が残っています。

この社宅街の昔から現代への変遷を後世に残していくため、お持ちの写真を投稿してください。

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鉄の歴史館バーチャルツアー

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鉄の歴史館は近代製鉄の父大島高任や釜石製鉄所の資料を中心に古代から現代までの鉄の歴史を紹介しています。世界遺産橋野鉄鉱山三番高炉の原寸大模型を使ったシアターや1995年に開催された三陸海の博覧会で展示されたフランスのディーニュ・レ・バン市のアンモナイト大露頭レプリカ、リアス海岸を望むオーシャンビューは必見です。

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橋野鉄鉱山Googleストリートビュー

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江戸末期に入ると外国の脅威から国を守るため、各藩が大砲鋳造を目指し、反射炉を建設しました。そこに供給する良質の鉄を生産するため、盛岡藩出身の大島総左衛門(のちの高任)は、甲子村大橋(現在の甲子町第1地割)に高炉を建設し、安政4年12月1日(1858年1月15日)に鉄鉱石を原料とした鉄の連続生産に成功しました。これを記念し、同日は鉄の記念日となっています。その翌年に建設されたのが橋野鉄鉱山です。

現在、往時の高炉や水路、御日払所(総合事務所)などの遺構が残っており、現存最古の高炉場跡さらに、採掘場跡、運搬路跡を含め2015年「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産としてユネスコ世界遺産に登録されました。緑豊かで散歩感覚でもゆっくり楽しめます。また、桜の名所で4月下旬から5月中旬には宇宙を旅した宇宙桜や石割ザクラ(山桜)、八重桜が鑑賞できます。 外国人技師も雇えない時代に、蘭書を読み解きながら研究し成功させた日本の近代化の原点をぜひご見学ください。

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